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(2006.05.02)
小布施新三郎碑

長野県須坂市高梨公会堂前にこの碑は建っています。

「小布施新三郎」は弘化3年(1846)に須坂市高梨町に生まれました。
十歳にして江戸に出て丁稚奉公<デッチボウコウ>を勤めます。
その後、横浜上海銀行の蔵番を勤め上げ、その忠実な勤務さから「古金銀売買主任という大抜擢をうけるのです。

横浜上海銀行で古金銀売買のノウハウを学んだ新三郎は、東京の日本橋に「古金銀売買」を開業し、成功を修め、「東京株式取引所仲介売人」「東京商工会議所議員」などを歴任しました。
その後、小布施新三郎は全国高額納税者に名を連ねるほど営業努力を重ね、公共事業にも多額な投資をしました。

また、郷土須坂への気持ちを厚く、郷里発展のために多大な財産を寄せ続けたのですよ。
苦労を重ねて成功を治めた姿、成功した後も郷土のために寄付を重ねる新三郎の姿に、地域住民の奮起を促したのです。

大正13年に高梨区民は、郷里への功績を称え「小布施新三郎碑」を建立しました。


以下、石碑に刻まれた文です。

 


小布施新三郎翁寿蔵碑
五峯高林寛 題

翁は弘化3年2月28日信福覆靴鵑靴紊Α帽皸羞換睛村に生れ父君を民蔵母堂をきしと謂う。年甫(はじ)めて10歳江戸に出て丁稚となり、忠勤9ヵ年にして郷里に帰り居ること60日ありて再び出府(しゅっぷ)し独立以て濁酒の製造販売を営みしが、偶横浜の大志を遂ぐべきを覚り居を移して大弓場を経営し大人気に投じたるも到底駿足を伸ぶるに足らざるを感じ更に転じて上海香港銀行の蔵番となり極めて忠実なりしかば行主カンプ氏の信用頗ぶる(すこぶる)深く累進して古金銀売買の主任となる降て明治10年更に東京に出で居を日本橋区堀留町にとし古金銀の売買を開業し明治16年東京株式取引所仲買人となり選ばれて組合委員及び委員長となり尋で監査役及相談役並に東京商工会議所議員たること数回現に東京府多額納税者に列す営業の継続実に40余年為に表彰せられること数次(すうじ)なり氏は慈愛の念殊(とく)に深く公共事業に投資し又郷里に対して多大の寄付金を贈られしこと再三に止らず今や寿を加える正に70又9尚攫鑠荘者を凌ぐ真に立志伝中(りっしでんちゅう)の人にして懦夫(だふ)の奮起を促すに足るべきなり茲(ここ)に建碑に方り小伝(しょうでん)を刻して後世の亀鑑(きかん)となす。

大正13年9月高梨区一同


2011.11.21改定





■今回の参考文献
筆塚並先人塚調査書<上高井教育会郷土史研究会 昭和8年>
筆塚並先人塚須坂編<田子昭治編集 平成16年>




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