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須坂市探検隊


(2006.05.10)
米持神社の養蚕大神

長野県須坂市は明治初めから製糸業の盛んな町でした。
製糸業を営むには、まず良質の「生糸」を仕入れなければなりません。
遠方より仕入れると、コストが高くかかるので「旧須坂町」の周辺の町では養蚕業が広く行われていたのです。

現須坂市米持町も当時、この地域有数の蚕村でした。


米持町にある、祭神「建御名方命<タケミナカタノミコト>」を祀る米持神社の境内に、「養蚕大神」と書かれた高さ2mもある石碑が置かれています。

この碑は明治24年(1891)に建立されたもので、須坂市出身の書家「中島淡水」の書を刻んだものなのですよ。

「中島淡水<ナカジマタンスイ>」は文政4年に須坂で生まれました。
文墨<ブンボク>を好み、立成館で経学を修め、武芸にも励んでいたようです。(「立成館」は現在の長野県立須坂高等学校の前身にあたる学校。)

また余暇には須坂藩医である「岩村寿水」について医学を学んだのだそうです。
文久元年に須坂藩より隠居を命じられると「若村如瓶」という名跡を許され、以来医学に専念したのです。
幕末には佐久間象山より種痘術を学びうけ、町民に実施したことが有名です。

書については大字を好んだようで、「大酒を飲み一気に書き下ろす」といった威勢の良さが伝えられています。


明治時代になり学制が実施されると「小学習字帳十二冊」という教科書に近い物を、山下八右ェ門と刊行しました。
山下八右ェ門とは須坂市中町「山下薬局」の創始者にあたる方です。
この本は信濃中に知られ「中島淡水」の門弟は千人を超えたのだそうですよ。
それらの功績を称えられ明治28年に須坂市奥田神社境内に影徳碑が建立されたのです。


養蚕で暮らしを豊かにするには蚕に病気になられては困ります。
蚕が元気に育ち、良質な繭を作ってもらい高値で買っていただく。
その事を願う村人のあつい思いが、医学に通じた「中島淡水の書」を刻むことからも、この碑の大きさからも伝わってくるのです。
 

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