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須坂市探検隊


(2007.01.06)
東山愚兵衛翁寿碑
天保元年(1830)に須坂市塩川で生まれた「東山愚兵衛<ヒガシヤマグヘエ>」は幼名を「茂兵衛」といいました。
茂兵衛が30歳の時に名を「愚兵衛」としたのです。

若い頃から書を須坂藩の書家「中島淡水<ナカジマタンスイ>」に学び、
その後もその書塾を継承し、長い間門弟の育成に力を注いだと伝えられています。



また愚兵衛は謡曲<ヨウキョク>も好んで学び、「宝生流小謡集」を出版しています。
「宝生流小謡集」に載せられた曲目は53種65項にも及んでいるのですよ。

謡曲の門弟は200人にもなり、特に山田村(現高山村)に多くの門弟を持っていました。
高弟「佐藤佐之助」の碑が今も高山村にあります。

謡曲の「免状もの」と呼ばれる免許皆伝クラスの歌の伝授は困難を極めたそうで、他の者に聞かれない深夜に行われました。
愚兵衛もまた謡曲「隅田川」を師匠である「矢田専左衛門」から伝授された場所は師匠が東京への帰途、誰にも聞かれない軽井沢の野原で行われたと伝えられているのです。

謡曲の伝授を受けるのは難しかったのです。


愚兵衛は文久元年(1861)から慶応末年(1868)にかけて名主役<ナヌシヤク>(庄屋)も勤め、明治7年に日野地域の「沼目薬師堂」に創設された「斉家学校」の世話人・学務委員を歴任しました。




様々な才能を持ち、知名人との交流も盛んだった東山愚兵衛は大正元年にこの世を去りました。
その前年、明治43年に多くの門弟等によって生誕地であるこの場所に寿碑を建立したのです。







今回の参考文献
須坂市人物誌<須坂市人物誌編集委員会>
須坂市石造文化財<須坂市教育委員会>
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