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須坂市探検隊


(2007.10.15)
大日如来道標
現代のように車や鉄道、飛行機などによる輸送や移動ができない頃、物流や人の往来は街道を行き来することによって行われてきました。

そんな全国の各街道が賑わいを見せていた頃、長野県須坂市近郊は「街道の辻の町」として賑わいをみせていたのです。
土地柄、日本海側の地域と関東を結ぶのに適していたのでしょう。

須坂より関東方面に抜ける街道として、
群馬県大笹へ抜ける「大笹街道」と、
同じく群馬県の干俣<ホシマタ>へぬける「三原道」
の二本の街道が利用されていました。

大笹街道はどちらかというと緩やかな道が続くので、馬を利用した運搬をしたことから「馬の道」とよばれ、三原道は急な山道が続くので、重い荷物を背負っても急な山道でも進んで行く「牛」を利用したことから「牛の道」と呼ばれたのです。

そのために、三原道の始まりである須坂市の豊丘地域では、牛の飼育が盛んに行われました。


「大日如来」が農耕、運輸を守護してくれる神がであることから、牛を飼育していたこの豊丘地域では「大日如来」をお祀りしています。


今回の「大日如来道標」も、三原道と牛の文化をつなぐ象徴的な石碑です。
丁度山の中へ入るところに建立されたこの道標には、
「右上州かい道」「左やまみち」と刻まれています。

建立は慶応4年(1869)、平成13年には須崎市有形文化財に指定されました。


三原道の行き来に使用するために飼育していた牛が、後に荷の運搬ではなく、酪農として飼育されていきます。
それも牛を飼育していた地域ならでは変化ですよね。


この豊丘地域は牛と密接な関係にある土地なのです。







今回の参考文献
須坂市石造文化財<須坂市教育委員会>
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