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須坂市探検隊


(2009.08.27)
陶工 吉向の碑

長野県須坂市の鎌田山に江戸中期以降長野県唯一、美術的茶陶<チャトウ>を世に残した窯がありました。


須坂藩11代藩主堀直格<ホリナオタダ>は、学問文芸面で優れた人物で、江戸屋敷には大きな図書館を持ち、「須坂の殿様は蔵書が万巻もある」と評判となるほどでした。
江戸時代の数多い大名の中でも学問芸術に関する3大偉人の一人として、「大日本史<ダイニホンシ>」を手がけた水戸の徳川光圀、「集古十種<シュウコジッシュ>」の奥州白川の松平定信、そして「扶桑名画伝<フソウメイガデン>」を書いた須坂の堀直格が上げられるほどです。


江戸時代、各大名たちが開催する茶会は、茶を入れて飲む事を楽しむだけではなく、生きていく上での目的や考え方そして茶道具や茶室に飾る美術品など、広い分野にまたがる総合芸術として発展し、その藩の文化水準を表すものとしての価値を高めたのでした。
各藩主たちは茶道を習い、そして、茶器をつくる陶芸家たちを招き、自分の領地内で茶器を作るようになります。
これが「お庭焼き」です。



文学面で優れた才能を持った堀直格は、茶道においても石州流家元<セキシュウリュウイエモト>片桐貞信<カタギリサダノフ>と親交がありました。
当時片桐公に仕えていた吉向に腕のよさは評判で、直格は幾度と無く貞信公に請いて、ようやく須坂の地に招くことが叶ったのでした。

苦労して吉向を招いた甲斐があり、須坂の鎌田山麓に設けられた窯では良い作品を数多く作られました。
しかし、弘化4年の大地震によって作品の多くが破壊されてしまった上に窯まで壊れてしまい、嘉永6年をもって9年間で吉向は江戸に戻ってしまいました。




こうした歴史的出来事の伝承は一時消えつつありましたが、昭和41年6月の吉向焼窯跡の発掘調査によって成功を納め、それが機で、昭和45年には窯跡が須坂市史跡文化財指定1号となったのでした。
これを記念にして、この碑が建立されたのです。
 



「趣旨」として裏面に刻まれていることは次の通り

自然は偉大にして悠久なれども形あるものは時代の変遷と共に時々刻々と変わりゆき、いつかは損潰消滅し歳と共に忘れられてゆく吉向窯跡も廃窯と共に崩壊埋没ついには跡形もなく雑草生いるが儘となりその歴史もやがて消え去らんとした。馬場町青少年健全育成会は事業の一環として文化財保護思想の育成をめざし昭和41年6月児童育成会員と共に吉向焼窯跡の発掘調査を試み成功を納めた其の後は情操面、精神面の育成をめざし児童と共に窯跡の環境美化につとめ周辺に桜を植え史跡公園建設をめざし愛町精神と郷土愛を育みつつあった偶昭和45年5月25日此の窯跡は市史跡文化財第1号となる 記念しこの碑を建立するに至った

 

碑文は京都前大徳黄梅院富西玄性師の筆になる。

昭和45年8月吉日

 




今回の参考文献
須坂市立博物館特別展「徳利・油壺と吉向焼」展示説明会および現地学習会資料
新撰須坂市の文化財<須坂市の文化財調査会>
その他参考資料

 

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