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須坂市探検隊


(2010.07.07)
西麹屋 小田切家

須坂市内に数ある立派なお宅の中でも、かなりの上位に入るであろう立派な屋敷が春木町にあります。
丁度、須坂駅から高山村方面へと抜ける「須坂高山線」沿いの交差点にあることから、信号待ちなどで止まった際には、その大きさと立派さで皆気になるはずです。


この屋敷は、「大麹屋」とも「西麹屋」とも呼ばれていた須坂の名家、小田切家の宗家の屋敷です。
小田切家は、麹屋、油屋、糸師、呉服商など様々な事業を行いながら、江戸時代に町年寄や須坂藩の御用達を勤めてきた家でした。
家業を継いだ辰之助は、安政年間の横浜港開港以来、生糸・蚕種の貿易に従事。
そこで粗製濫造<ソゼイランゾウ>によって海外より信用を失っていることを知ります。それ以来蚕種組合を設立し、自ら検査役となるなど生糸の品質向上と品質の安定に力を注ぎました。

明治8年には、青木甚九郎・遠藤万作などと「東行社」を設立。
翌9年には蒸気機関による俊明製糸場を設立しました。

明治17年に東行社を脱退すると新たに「俊明社」を設立。
その後も社員への援助を目的に高井銀行を創設、良質の生糸を生産するために良質の水の確保を目的に水道設備にも尽力します。
小田切辰之助は人徳を持った人物だったのです。



現在残されている屋敷は、明治3年の須坂騒動の際の焼失後に辰之助が建造した屋敷です。


長屋門と石橋のセットが現存する館は、須坂市内でもここだけとなりました。
門前の用水路には、北信地方独特の石積みである「ぼた餅石積み」が施され、用水路をまたぐように石橋が架けられています。

門の両側左右には店舗を設けられるようにガラス戸が設置されています。
明治時代には左側で「高井銀行」を創設し営業をしていました。
記憶に新しいのは右側の丸正青果さんですね。
どちらも防火に備えた大壁造り(柱が見えない)となっています。
こんなところからも明治3年の火災の教訓が見て取れます。



現在は管理などの理由から門は硬く閉められ、中を見ることはできません。

屋敷の中には、裏川用水の段差を利用した水車跡が残る水車小屋が今も残されているようです。
水車動力を利用した製糸業は当時は画期的で、この地が産業革命発端の地の一つであることは間違いないでしょう。
また、総ケヤキの玄関など立派なお宅があるのです。










今回の参考文献
信州須坂の町並み<青木廣安著、丸山武彦絵須坂新聞社>
須坂市人物誌<須坂市人物誌編集委員会>









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