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須坂市探検隊


(2014.04.15)
境栄七翁之碑

明治13年(1880)に長野県に提出された「小河原村誌」(のちの長野県町村誌)、民業の項目には
「農耕に務め、養蚕を兼業とす。閑暇あるとき、男は縄・莚(むしろ)を綴り、女は縫織(ほうしょく)を業とす。多くは自用に供するのみ」
とあります。

須坂の町が製糸業で賑わっていた江戸時代末期から昭和初期にかけて、須坂町周辺地域では養蚕が盛んに行われいました。小河原地域は土地柄、土質が桑の栽培に適し、良質な桑を大量に栽培することが出来ました。中には養蚕農家と契約を結び売却する桑農家もいたようです。
しかし、「製糸業がくしゃみをすれば、養蚕農家は風邪をひく」と言われるように、幾度の糸価格の暴落により養蚕農家は桑畑を果樹園に切り替えはじめました。


南小河原町にある「「境栄七翁之碑」の裏には次のように書かれています。
「境栄七翁は、昭和7年頃養蚕産業の後をうけて、未知のりんご栽培に積極的に取組み、当地域のりんご栽培の礎となる。一生涯りんご栽培一筋に精魂を傾けられ、りんご作りの神様と仰がれた。この偉業を永遠に讃えるため、南小河原果樹組合の三十周年に当りこの碑を建立す。
昭和五十六年四月吉日」


製糸業の衰退と共に新たな産業を見出さなければならなかった時代。
未知の産業であったリンゴ栽培に目をつけ、現在の礎を作った境栄七氏がいたからこそ、今のりんご栽培があるのです。







今回の参考文献
松川扇状地の里 小河原郷誌 <須坂市小河原郷中>



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