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(2016.05.15)
久兵衛堰

小河原神社の前に用水路が流れています。
この用水路は「久兵衛堰(キュウウベエセキ)と呼ばれ、新田地区の開墾のために引かれた用水路なのです。

九兵衛堰は、松代藩より任された根岸久兵衛によって作られた大切な用水路で、その恩を忘れないために350年前から「久兵衛堰」と呼んで親しんできたそうです。


新田地区の開墾年代については、正保3年(1646)の久兵衛分検地帳などがあることから、寛永年間(1624〜1644)から正保年間(1644〜1648)と伝わっています。
元々は須坂町の裏川用水より水を引いていましたが、現在は八木沢川から取水しています。


根岸久兵衛について
根岸家の家系図によると、根岸家は武田信玄・勝頼の重臣小山田備中守(ビッチュウノカミ)の後裔であるそうです。
初代根岸久兵衛は、豊臣秀吉の幕下となるが、大坂冬の陣のあと大坂を離れ武蔵国根岸で静かに暮らしました。
その際に姓をその土地の「根岸」と改めたそうです。
その後信州高井郡駒場(コマンバ)に移り住み、更に大島村定着したといいます。
大島村が千曲川の西岸から東岸に移動した際に村づくりに尽力したと伝わっています。

当時の久兵衛堰を考えると、須坂藩領の用水を水源とし、松代領の小河原村に引水しています。
このことから、久兵衛は早くから両藩と密接な関わりを持っていたことが推察できます。
事実は資料が残っていないことから謎となっていますが、根岸家の家系を考えるとかなりの実力者であったことが想像できるのです。






今回の参考文献
松川扇状地の里 小河原郷誌 <須坂市小河原郷中>
須坂市生涯学習市内見学まなびー号資料<生涯学習推進センター>



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