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須坂市探検隊


(2005.05.17)
奥田神社

須坂市常盤町にある「奥田神社」。
この神社は、江戸時代に須坂市を納めていた「須坂藩」の藩主、堀家の初代須坂藩主「堀直重<ホリナオシゲ>」と13代藩主「堀直虎<ホリナオトラ>」をお祀りした神社です。

どうしてこの場所に神社が建立されているかというと、この場所を中心にこのあたり一帯に藩主の館があったからなのです。



「堀」家が祀られているのに「奥田」神社っておかしいですよね?
堀神社ではないんです。


実はそれには理由があります。

初代藩主堀直重の祖は、尾張国奥田庄の土豪で、本姓は「奥田」です。
直重の父である「奥田直政<ホリナオマサ>」は織田信長、豊臣秀吉に仕え、秀吉から堀姓を与えられ「堀直政」と名乗るようになりました。
その後、直政の三男である直重は、関が原の合戦や夏の陣での活躍が認められ、下総国や信濃上高井地区に合計1万2053石与えられたのです。

余談ですが、2代須坂藩主直升<ナオマス>が継いだときに、その中の下総2000石を弟に分けたので、それ以来明治時代になるまで須坂藩は1万0053石となったのです。

江戸時代には堀姓を名乗っていた須坂藩主。
明治維新後、第14台藩主「堀直明」は旧姓に戻し、奥田直明」に改名したのです。
そんなことがあり、この神社は堀家をお祀りした「奥田神社」となりました。


江戸時代末期、市内の墨坂神社芝宮本殿の立替の際に、本殿の横に堀直重をお祀り神社を建立する計画が立ち上がりました。
しかし、明治時代になり一つの神社に二つの神様はおかしいということで、堀直重をお祀り神社を移動した経緯があります。現在も墨坂神社芝宮ではその時の痕跡みることができるのです。






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