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須坂市探検隊


(2005.11.21)
邑守神社

須坂市を横断する国道406号を菅平方面に行くと途中、村石町を通ります。村石町には立派な鳥居を持った大きな神社があり、それは諏訪社の「邑守神社<ムラモリジンジャ>」なのです。

「邑守神社」の祭神は「建御名方富命<タケミナカトミ>」で、祭日は春季4月26日、秋季10月3日となっています。

現在の社殿は明治7年(1874)10月から明治12年9月の工事で建設されたもので、入り口にある立派な鳥居は昭和61年に再建されたものです。昔の鳥居を解体したところ、嘉永6年の建設がわかったそうです。
神額は文字が素晴らしく、透かし彫りが見事な作品なために、以前のものをそのまま掛けてあるのですよ。

邑守神社創立については明確に残っていないのですが、漢文12年(1672)の野邉村新田子改帳の村石分に、「明神宮免の石高」が記してあり、その後の資料(1805年諏訪宮之図)などからも村石新田成立(1664)直後に創設されたものと考えられています。


邑守神社の境内社には「秋葉大権現」(文政12年(1829)勧請)と高尾社(文久3年(1864)勧請)があります。



高尾社は文久3年(1864)に甲斐国巨摩郡<カイコクコマグン>(山梨県中巨摩郡)の高尾山穂見神社から勧請(神様の分身を移して祀る)されたものです。
甲斐国は昔より養蚕が盛んで、高尾社は蚕や衣食住の守護神として信仰を集めていたそうで、村石新田でも甲斐の高尾社の話を聞き、勧請したものと思われます。
やはり村石でも養蚕が盛んだったので、豊作を祈った方々によって招かれたのでしょうね。

現在は「五穀豊穣、商業繁栄」の神として信仰されています。

諏訪社である「邑守神社」でも七年に一度御柱祭は行われます。
昔より「神は天から降臨し恵みを与えてくれる」とされ、巨木を建てることは信仰の現れであり、四隅に建てるのは「その中が神の鎮まる地」であることを意味しているそうです。
(御柱の意味は初めて知った・・・。)

「邑守神社」は前から気になっていた神社です。
なかなか資料が少なく調べるのが苦労でしたが、やはり奥深い歴史を持った神社で、楽しく調べることができました。
しかし須坂には諏訪社が本当に多いのですね。
 

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