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(2005.12.02)
福島正則公遺蹟碑

長野県須坂市上町の「寿泉院<ジュセンイン>」には福島正則公遺蹟碑が建っています。

福島正則は戦国時代に全国で活躍した武将です。
幼少の頃より豊臣秀吉に仕え、秀吉の下色々な戦いにおいて華々しい活躍を見せました。
秀吉の死後、石田光成と犬猿の仲であった為に関ヶ原の戦いでは東軍(徳川側)として戦ったのです。

関ヶ原の戦いで活躍し、戦功に備後・安芸50万石、安芸広島城主となるのですが、元々豊臣側の武将だったせいか幕府に良く思われず、城の無断修理を理由に元和5年(1619)信州へ減封されてしまうのです。

その頃須坂藩は初代藩主、堀直重が元和2年(1616)に死去し、二代目藩主直升が幼かった為に須坂に住まず、寛永2年(1625)までの間は家臣により切り盛りされていました。

その間の元和5年(1619)から7年(1621)の間、福島正則は須坂に仮屋敷を設け生活していたのです。

たった二年間ですが福島正則が須坂で暮らしたことはなかなか知られていません。寿泉院の山門は福島正則が高山村の陣屋に移る際に寄付したものなのだそうですよ。

福島正則は治水に力を入れ、高井地方の土地を検地し、小布施の栗林を拡張し、松川の水害を減らそうと堤防を作るなど住民のために働いたのだといわれています。

が、伝説では正則の性質は残忍で、ある時は妊婦のお腹を自ら切り喜んだのだとか・・・。そのために高井地方の妊婦は正則の目に触れることを恐れ、着物の上からもう一枚着物を着たのだそうです。
それが今日の半纏<ハンテン>の始まりだという伝説も残されています。

あくまで最後の話は伝説なのですが、確かに福島正則は須坂に住んでいたのです。
こんな著名人が住んだことがあったのだなんてビックリですね。






 

今回の参考文献
須坂市の石造文化財<須坂市教育委員会>
信州の口碑と伝説<杉村 顕著>



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