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須坂市探検隊


(2006.01.23)
お蚕さま祭り

江戸時代末から昭和初期にかけて長野県須坂市は製糸業の盛んな町でした。
郊外には蚕を育てる繭蔵や蚕の餌となる桑畑が広がり、町の中心には繭を保管する蔵、繭より生糸をとる工場がいくつも並び、そのかつての町並みが今も数多く残されています。

最近読んだ話

「衣」は人間の生存に不可欠な要素の一つで、人造繊維が普及する以前は「綿」「麻」「毛」「絹」から衣料は生産されました。
その中で一番珍重されたものは「絹」です。

日本に蚕が伝わったのは紀元1世紀と推測されますが、絹織物の原料の生糸のほとんどは中国からの輸入品でした。
江戸幕府は金銀の流出を防ぐために生糸の輸入を制限し始めると、それによって国内の生糸生産が刺激を受け、発展をはじまるのです。

幕府が鎖国をやめ、開港すると、外国商人が生糸を求め横浜に進出を始めました。
明治政府は富岡などに模範工場として西洋式工場と繰糸技術の伝習を開始しますが、その動きに最も積極的だったのが長野県の製糸業者だったのです。

明治13年には長野県の生糸輸出量は全国1位となり、その中でも須坂市の業者が全国トップクラスの大手となるのです。

そんな内容の話が載っていた本は
財団法人 八十二文化財団発行
「地域文化 NO74」です。


その後、昭和になり「世界恐慌」による影響で生糸の値段が急落したことをきっかけに製糸業は衰退をはじめ、現在の須坂市では桑畑すらも見かけなくなってしまいました。

そんな過去の製糸業技術の伝承と後継者の育成をはかろうと須坂市では銀座通りの「ふれあいの館 まゆぐら」におきまして織機の展示や講習などを行っています。


須坂に住みながら、なかなか蚕について触れる機会がなかったのですが、普段なかなかみることのできない色々な資料が展示されていて勉強になりますよ。

興味のある方、なかなか見ることのできないものが多いので是非この機会に行ってみてください。







 

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