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旧上高井郡役所


「大正ロマン」とは、明治維新の開国によって、外国からもたなされた文化に
刺激を受けた日本の人々が作り上げたそれまでにない文化。
須坂市内に点在する木造の洋風建築物の多くも、この大正ロマンの影響を受けたものが多い。
今回ご紹介する旧上高井郡役所は、日本の内陸に浸透してきた新しい文化をいち早く取り入れた、須坂における大正ロマンの象徴的建造物である。




須坂旧上高井郡役所

■建物建築の歴史的背景

長野県須坂市常盤町は、江戸時代には須坂藩主堀家の館がおかれ、明治時代以降も官庁の建物が多く建設され、須坂行政の中心的な町でした。
上高井郡役所は明治23年(1890)の「府県制・郡制 <クケンセイ・グンセイ>」の公布に伴い、正式に開庁した役所です。
その後、大正6年に須坂町が土地を提供し、長野県が建築設計の元、この建物が建てられたのです。

旧上高井郡役所
大正10年に「府県制・郡制廃止法」が公布された後も建物は長野県の管轄の下、「上高井郡連合事務所」「長野県経済部出張所(昭和10年)」「上高井地方事務所(昭和17年)」とその役目を色々と変え、昭和61年の上高井地方事務所の長野地方事務所への統合後、長野県直轄の役所としての歴史に終止符がうたれたのでした。

平成9年からは長野保健所須坂支部として使われたのですが、平成17年に須坂病院へ移転することになり、平成18年に須坂市に譲渡されました。

建設当時は長野県内にいくつも建てられたこのような郡役所の建物も、今ではこの建物だけとなってしまいました。大正6年の建築以来90年間使用された建物は老朽化が進んでおり、須坂市ではこの建物を市内に残る貴重な文化遺産として後世に残すべく耐震補強工事、全面改修工事を行いました。
現在は「須坂市旧上高井郡役所」として、市民の交流と各種歴史資料の収集、展示を行う施設として使用されています。



須坂市探検隊長の視点

ここからは、須坂市探検隊長の視点で、この旧上高井郡役所を紹介します。

旧上高井郡役所は木造2階建。
外観、内装の各所に洋館に似せたデザインを用いた「疑洋風<ギヨウフウ>」といわれる作りになっていることが特徴です。

■外観

旧上高井郡役所

この建物を目の前にして、まず気になるのは玄関の車寄せとその上に設けられたテラスではないでしょうか。
来賓などの送迎の際に、車を玄関へ横付けできるように設けられた車寄せは、3本の細い柱を組み合わせて1箇所を支えるデザインで作られています。
柱を支える基礎の石にも段差が彫られ、また、テラスに設けられた柵にも彫刻が施されています。

これだけ凝って作られたテラスですが、実際にはテラスの上へ出ることはできません。2階より外へ出られる扉が無いのです。
あくまで装飾として作られた物なのです。


瓦が敷かれた屋根の中央には、三角に軒が設けられ、その中央にはアンテナのような塔が置かれています。またその下にはアーチがデザインされ、それらを支える木にも凝ったデザインが施されています。

旧上高井郡役所
1階の窓は、洋風な上下に開け閉めできるものが使われ、窓枠の上部中央には、石造建造物に用いられる「キーストーン」に似せた飾りが木で作られ、飾られています。

旧上高井郡役所の外観に用いられている装飾は、建築上必要の無いものが多いのですが、外国から入ってきた建築文化を色濃く取り入れ、それを日本風にアレンジをした「疑洋風」に作られています。
このような贅沢な作りができたのは、この土地が須坂町より無料提供されたことによって、県は建物のみに予算を使うことができたという背景もあるようです。


旧上高井郡役所
■内観
現在、この旧上高井郡役所の1階2部屋と2階の3部屋(大広間含む)は会議や展示会などに利用できるようになっています。

1階には須坂市史編纂室が設けられ、廊下には須坂の歴史的資料を間近に見学することができるようになっています。1階の各所に小さな小部屋があるのは、郡役所時代に控え室として利用された名残でしょう。
また、天井の柱や建具などに手の凝った面取りをしてあるあたりも洋風建築を真似たものと考えられます。

旧上高井郡役所
2階に飾られた写真を見ると、2階大広間は上高井郡会などの今で言う「議会」が行われた場所のようです。

この部屋の天井は、6角形にデザインされた洋風の幾何学模様<キカガクモヨウ>といった感じで、備え付けられた電灯がなんとも雰囲気にマッチしています。
奥の小部屋は郡長や秘書の部屋でしょうか。

館内も外装同様に、苗色という独特な色と白色のみで統一され、味のある雰囲気を感じます。




以上、旧上高井郡役所について紹介させていただきました。

明治維新と日本の開国に伴い、外国の文化が日本に入りました。
日本の様々なものに「洋風」が用いられ、それは建築業界も同様だったのです。
外国との貿易で富を得た商人たちは、欧米のような石造建築物のデザインを木造で真似て建物を作りました。それらは「和洋折衷<ワヨウセッチュウ>」、「疑洋風<ギヨウフウ>」と呼ばれ、最新の流行としてもてはやされたのです。

外国船が多く停泊する港の近くでは、明治時代の早い時期にそういった建物が多く作られ、その後大正時代に入ってから、長野県などの日本内陸にそれらの文化が浸透してきたと考えられます。

この旧上高井郡役所は、大正6年建造ですから、当時の流行の最先端デザインによって作られたのでしょう。須坂には、こういったデザインの建物はそれまでは無かったと考えられます。
今も須坂市内で見ることのできる木造洋風建築物は、この建物を見た須坂の住民が刺激を受けて建てたものと推測されるのです。

進んだ文化への憧れと、新しいものへの挑戦の心が生みだした「大正ロマン」。
今尚、斬新でありながらも懐かしさを感じるこうした建物を探検することは、とっても面白いことです。

須坂市で見ることのできた疑洋風建築
旧上高井郡役所 旧上高井郡役所 旧上高井郡役所
旧上高井郡役所    



紹介施設
旧上高井郡役所
  • 住所
    〒382-0013
    長野県須坂市大字須坂812-2
  • TEL:026-245-5559 FAX:026-245-5559


旧上高井郡役所
案内:青木廣安先生
取材、記事、写真:
須坂市探検隊長 小林義則


 
 


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