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松屋小路から大門通り


須坂市には、縦に走る何本かの主要道があり、それらを結ぶ横の小路が発達している。
小路は昔から住民の生活道して活用されてきた。

松屋小路から大門通りへと抜ける小路は、旧須坂町の主要道「寺町通り」「劇場通り」「大笹街道」を横断する生活道路である。
勝善寺を中心とする寺院が並んだその名の通り寺町の風情を感じられる「寺町通り」。
個人の老舗商店が多く並び、その昔須坂劇場があったことからその名がついた「劇場通り」。
そして、関東方面へ人や物資が行き来した「大笹街道(国道406号)」。

今回紹介する「松屋小路から大門通りへと抜ける小路」は、この3本の主要道を結んだ細道であり、今も人々の生活の匂いがする味わい深い小路である。



松屋小路から大門通り周辺


より大きな地図で 国道406から松屋小路まで を表示
■松屋小路までの道(左地図参照)

出発点は、旧須坂町の玄関口とも呼ばれた「横町中央交差点」より数メートル東に進んだ地点。左の地図では、須坂クラシック美術館の南の地点にあたる。

そこから南東に伸びる小路は、2006年に新道(現R406)が開けるまで、日常的に使われたメイン道であり、松屋小路へと続く道なのです。

現在は薬局店や新しい家、駐車場が目立つこの小路もほんの数年前までは昔の町並みの残る道でした。
今も古びた外灯がところどころに残り、当時の雰囲気を少し感じることができます。






松屋小路
松屋小路
松屋小路

松屋小路とは「高野酒店から本上町公会堂」までの小路のことをいいます。(上の地図参照)
「松屋」というすき焼き屋があることからその名がつきました。昔は「病院新道<シンドウ>」と呼ばれていたそうです。

須坂市が製糸業によって賑わっていた頃、松屋小路沿いには料理屋が並び、須坂の製糸家たちが横浜などから来たお客を接待する場として使用していました。
宴会には芸者が呼ばれ、市外から来たお客に楽しんでいただいたのです。

松屋小路周辺の本上町<ホンカンマチ>は、当時「三区」と呼ばれていました。
当時の松屋小路は、
”駅を降りると蛹<サナギ>の臭い、三区へ上がってくれば白粉<オシロイ>の臭い”
とも歌われた花街だったのです。白粉とは芸者さんが顔に塗っている化粧品のことですね。

近くに住む初老の話では、昼間は芸者の置屋から三味線の音色が聞こえ、
夕方になると、近くに銭湯へでかけるので、「カランコロン」と下駄の音が通りに響いていたそうです。


白壁長屋の町並みを進み、本上町公会堂のある四つ角は、「寺町通り」との交差点です。


寺町通り

寺町通りとは、その名の通りお寺が並ぶ通りです。(下の地図参照)

より大きな地図で 寺町通り を表示
江戸時代、長野県須坂市周辺は堀家によって須坂藩として統治されていました。
須坂藩は、領土の南西を守る意味で、このあたりに門前町を造ったのです。

真宗大谷派の由緒正しき寺「勝善寺<ショウゼンジ>」を中心に、「勝教寺」「円照寺」「蓮休寺」「宝広寺」「真勝寺」の合計6カ寺が置かれました。

6カ寺のうち3カ寺が今も残されています。


この寺町通り北側に「信陽銀行跡」があります。明治35年に建てられたこの建物は間口奥行き共に6間という豪壮な蔵造建築となっています。
玄関側から見ると、水路に石橋がかかり北信地方特有の「ぼた餅石積み」の基礎を見ることができます。通り側の壁の綺麗に配列された乳釘も見ごたえがありますね。
信陽銀行跡
信陽銀行跡

製糸業が盛んだった頃、銀行から融資をうける担保として繭が持ち込まれたそうです。
担保として預かった繭の品質が落ちてはいけないのでこのような土蔵造りの銀行が建てられたのだと聞きました。





大門通り

大門通りとは、本上町公会堂より国道406号(大笹街道)までの道です。(左下地図参照)

より大きな地図で 大門通り を表示
江戸時代に須坂藩主館へ入る大きな門が設置されていたことから、「大門通り」と呼ばれるようになりました。

明治時代には芸者衆の置屋として使われた家が最近まで残されていました。長屋の解体の際に壁紙の一部から「昭和2年」の新聞が出てきました。そのことから昭和2年前には建てられていたことと想像ができます。

この建物も2010年に、老朽化が進んだことで取り壊され、今はさら地になっています。

一昔前、毎年正月ともなると、勝善寺への参拝者でこの通りはものすごい賑わいをみせていたそうです。
人の列が、勝善寺から大笹街道まで続いていたというから驚きです。

大門通り入り口
大門通り入り口
大門通り入り口(2009年9月撮影.)
 
大門通り

大門通りを東へ進み、劇場通りをまたぐと昭和の時代を感じる町並みが続きます。
かつては衣料品店、豆腐店、パン菓子店、日用雑貨店などが軒を連ね、小路ならではの賑わいを見せていました。
現在は食堂(東京庵)、日本料理店(松風寿司)が店を営んでいます。


劇場通り

劇場通りは、本上町の丸田肉店あたりから穀町の大島酒店あたりまでの通りのことをいいます。先にも述べたのですが、その昔「須坂劇場」があったことからその名がつきました。
(左下地図参照)

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須坂劇場では、大正4年に松井須磨子が、その後美空ひばりも公演をしました。大物芸能人の公演ともなると人が行き来できないほど混雑したのだそうです。

上高井誌歴史編(昭和37年刊)の古地図には、「道海淵<ドウカイブチ>」と書かれています。

須坂で製糸業が栄えていた時代には、この通り沿いに料亭が並び賑わい、また、通り沿いの製糸工場で働く女工たちも日用品を購入するために通り沿いの商店に出入りしていました。

この劇場通りから、江戸時代末期に起こった須坂騒動の際に一揆衆が通ったとされる「青木小路」、寿泉院と金井原通りを結ぶ「泉小路」が伸びるのです。

青木小路
泉小路
青木小路
 
泉小路







今回は「松屋小路から大門通り周辺」ということで紹介をしました。
最後に、この松屋小路、大門通りの観光ルートについて書きます。

須坂クラシック美術館よりスタートし、 下記の地図のように須坂の町並みを廻ってみることをお勧めします。

より大きな地図で 町並み観光ルート を表示
スタート地点はクラシック美術館。
松屋小路→大門通り→本町通り→銀座通り
と周り、ゴール地点のクラシック美術館に戻ってきます。

このルートの見所は、須坂の庶民の町並みと豪華な蔵作りの町並みを見学できることです。そしてスタート地点とゴール地点が同じ場所なので、迷うことも少なく車の置き場所などにも困りません。

見所満載の須坂の町を、是非探索してみてはいかがでしょうか?

ご不明な点、今回の記事に関するお問い合わせはこちらまでどうぞ。








取材、記事、写真:
須坂探検隊長 小林義則(焼肉居酒屋みのり)


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